【Players for Tomorrow】
障がいではなく制限、諦めるのではなくチャレンジする発想。
2018年3月8日
「I can do it!」1人でも多くの方が、パラスポーツを通して「できる喜び!」を得られるようにと優しい笑みをたたえて語る彼女は、ある時は最長35時間のフライトで中南米へ飛び、ある時は海が美しいインド洋の島国へと飛び回るパワフルな女性。異なる文化圏を渡り歩く彼女は、価値観の枠にとらわれない素敵な出会いをたくさんしていました。
スポーツを通じた国際貢献・交流をしている「スポーツ・フォー・トゥモロー・コンソーシアム」の会員団体のキーパーソンに、実際に行っている活動内容についてインタビューさせていただく企画。
第4回目は、東京2020パラリンピック競技大会に向けた「パラリンピック参加国・地域拡大支援事業」に取り組む日本体育大学特別研究員の山口真緒さんにお話を伺いました。
この事業は、2017年11月にスポーツ庁から日本体育大学に委託された事業で、パラリンピック参加国が過去最大数の164カ国だったロンドン2012パラリンピック以上の参加国、165カ国以上が東京2020パラリンピックに参加してくれることを目指して、パラリンピック未参加国・地域や直近のパラリンピックへの出場が安定していない国・地域に対する「アスリートの発掘及びアスリート・指導者の育成支援」「パラリンピック委員会の運営強化支援」を行なっています。
対象国とのネットワークを構築するために、南米・オセアニア・アフリカと世界中を飛び回るには時間も労力もかかる。それでも「現地に行かないとわからないことはたくさんあるので、やっぱり行かないとダメだなと感じましたね」と山口さん。日本にいて行うメールのやり取りだけでは現地の様子は見えてこない現状があるという。
パラグアイのパラリンピック委員会を訪れた時は、ポツンと1つ机が置いてあるだけの事務所に驚き、「メールで資源がないって言っていたけど、何がないのだろうと思っていたらこういう現状だったのか」と思われたとのこと。設立されたばかりの委員会なので、まだまだこれから改善の余地が大いにあるということです。
モルディブでは、障がいを持っている方への接し方がわからず、困惑してしまう方も多かったとのこと。障がいを持った子どもが産まれると、家に隔離し外に出さない家庭が多く、スポーツをさせるなんて考えられない、障害を持つ方も、周りの方達もきちんと認識できていないから外に出てこられない人たちもいるという実情を目の当たりにされたそうです。
「やっぱり実際に現地に出掛け、その国の状況についてアスリートのコーチと話をすることはとても有意義です。例えば、モルディブには、公用語のディベヒ語がありながら英語が堪能な方もたくさんいて、パラリンピックに対して理解がある方もたくさんいました。大変なことはありますが、私にとって色々な国の方と話せるこの事業はすごく楽しいです!」と山口さん。
現地の方と触れ合いが大切と強く思うのは、青年海外協力隊で約2年間、現地の文化にどっぷりと浸かり、生活していた経験があるから。山口さんは、この事業に携わる前にウガンダの小学校で体育と音楽の先生をしていました。
「ウガンダでは、体育や音楽などの情操教育は軽視されていて、子供達にとっての息抜きの場がないんですよね。だからこそ私は、体育で協調性を高めるとか、音楽で表現力をつけることを中心に伝えてきました」。
どこの国の子ども達も、体を動かしたい気持ちは一緒。小さい頃から、スポーツの技術やルールを学ぶことは本当に大切だと感じたという。山口さんが社会人になって始められたスポーツ、フリスビーを使って競い合うアルティメットをウガンダの生徒たちに伝えたところ、大人気となり、山口さんが去った後もなくなることなく遊ばれているという。
「アルティメットは現地の方達がやりたいから取り入れてくれたけど、私が伝えたことでも今はもうやっていないこともたくさんあります。とりあえず私の持っているものはアウトプットして、あとは現地の方に考えてもらうという方法でやっていました。無理強いはしたくないけれど、何かは残していきたいと思っていたので、アルティメットが残ったことは本当に嬉しいですね!」
ウガンダで、体育の授業やアルティメットを通して、現地の子ども達もスポーツの楽しさに気づいてくれた。やはりスポーツは壁のない環境を作ることができる、スポーツを通じてもっと様々な国の方と交流したい、それが開発途上国のためにもなればいいという思いで今の事業に飛び込まれたそう。
「アスリートの背景は、それぞれ違います。私が少しでも多くの方に会えれば、そしてそのことをどんどん外に発信していければ多くの人たちが知るようになり、今後社会が良くなる1つの材料になるかもしれない。誰でも活躍できて、認め合えるような社会につながる事業となれば一番良いと思っています」。
山口さんがそう思うきっかけになったとも言える、あるパラアスリート選手のお話を伺いました。オーストラリアのゴールドコーストでパラ陸上選手のキャンプを視察していた時、バヌアツ共和国から来ていた脳性麻痺の女の子が50mのタイムを計り続けていて、自己ベストが出た時に叫んだ「I can do it!」という言葉。シャイだった女の子から出た「私できるんだ!」という心からの言葉に、とても感銘を受けたという。
そしてその背景には、彼女のお母さんの「Maybe she can do it」という言葉があった。障害を持って産まれた娘に対して、諦めるのではなく何かできるかもしれないと小さい頃からタネを蒔き続けチャレンジさせ続けてきたからこそ、彼女の口から「I can do it!」がこぼれ出た。
「2020年の東京パラリンピックの参加国拡大が目的ではありますが、最終的にはバヌアツの彼女とお母さんのように色々な人たちが可能性を発揮できるような考え方を持った人たちが増えてくれるといいですね」。
山口さんが今まで出会った方達、これから出会う方達は、私たちが普通に生活している中では出会うことはないかもしれません。しかし、世界各国でも東京2020パラリンピック競技大会への出場を目指して日々熱い練習を重ねている人々がいる、ということを知っているだけでも、山口さんが願う社会に一歩近づくことができるのではないでしょうか。
取材・文=大石百合奈
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